2020年、ほんと歳を重ねるたびに一年が一瞬で過ぎ去ります。
2020年って一体何だったんだろう…。
自分が進化しているのか、できていないのか…。
■フラフラ自由人
20代前半は元々フラフラと旅人生活をして、学歴も全くないわたしですが、「たくさん学ぶ」ことを目的に、わずか10人ちょっとの小さな不動産管理会社「アートアベニュー」に飛び込んだのが28歳でした。管理戸数はちょうど1000室を超えたくらいだったことを覚えています。
その前の会社をやめて宅建に受かったことで、学ぶこと(成人学習)がこれほど、価値があるものなのか…ということに気付きました。
入社してから、頭の良いエディとかレベルに追いつくためには、とにかくこれまでのマイナスをどうしたら埋められるのかをよく考えて、とにかくレベルアップに集中することを決めました。
10年くらいの間に、AFP、不動産コンサルティング技能士、CFP(上級ファイナンシャルプランナー)、1級FP技能士、CPM(米国不動産管理士)、CCIM(米国商業不動産投資顧問)、CPM認定講師、中小企業診断士、30歳を過ぎた頃には大学入学(途中で辞めましたがw)など、ひたすら勉強と仕事と趣味に打ち込みました。元々遊ぶことには人一倍気持ちが強い方なのですが、ここに勉強の要素が加わりました。
アウトローに生きてきたくせに人様の前でお話しすることなんて、出過ぎていますが、パワーのある会社に身を置き、コンサルティングや講演依頼も沢山いただけるようになり、30代後半から40代前半は順風満帆な日々でした。
いつのまにか社員はグループ全体で160名を超える組織になっていました。社長にもかわいがってもらい、沢山の部下とも公私共によい関係を築けていました。でも何か自由にさせてもらっているけど、自分だけに時間を使ったらどうなることができるのかが30台後半からずっと気になっていました。
■辞めることを決意
わたしの子供の頃からの夢は「起業」することでした。両親ともに公務員で、事業を始めることとは全く無縁の世界。漠然としたものでしたが、今思えば40歳前からは明確に意識していたのかもしれません。でも、日常が心地良すぎて、いつのまにか満たされた毎日に飲み込まれていました。その間、トライアスロンや登山、ほとんど出張生活のなど、常にチャレンジは持ってきましたが、このままでいいのか…マンネリしていないか…と思いつつ、1年、2年と、安定した日々はどんどん流れていきました。
退職を決めても、周りの人たちの顔を見れば「やっぱり言えない」という日々が続いていました。
可愛がってもらってきた分、辞めれば「裏切り者」的な扱いになるのも承知の上で、44歳の冬、ロケット噴射で一気に大気圏から脱出することに決めました。
そんな私の【2020年振り返り】をしてみました。
■2019年12月
辞めることを決めてから、見に行った新宿のシェアオフィスをとりあえず契約。
「新オフィス 売上ないのに 家賃出る」
■2020年1月
【16年勤めた会社を退職】
気がつけば、この頃からもう直ぐ一年...。
1月31日、会社を退職させていただきました。
全く準備などできていないので、不安がいっぱい。
■2020年2月
【2020年2月5日 会社設立】
ちょうど、この頃からコロナウィルスが徐々に広がってきました。小舟で漕ぎ出したら、いきなり嵐に見舞われると言う、なかなか経験できないような体験をするのも、何だか自分らしくて笑ってしまいました。いったん海外へでて数ヶ月間旅をする予定が、コロナのおかげで行けなかったことがいちばんのショック。でも、おかげでこれからの身の振り方をじっくり考えて、自分と向き合う時間をもらえました。
■2020年3月
【福岡を拠点に】
(本拠地が東京である必要があるのか)と、ふと思ってしまう。なぜ、今自分が東京にいるのか。もっとパフォーマンスを上げる方法がないのかを考えました。
全国、いろんなところへ仕事で行き、「ここに住んでみたい!」と思った、福岡県福岡市。
- ごはんがうまい
- ごはんが安い
- ノリがいい
- 他を受け入れる土壌
- 新しいものを生み出すパワーと企業家精神
- 高島市長による、都市デザインの魅力
- 全国と繋がれる空港まで15分
- 博多駅まで10分
- 職住接近で通勤時間の無駄がない
- バイク・ランなど運動できる環境が整っている
- 海と山が近い
- (女性がキレイ)
そんなわけで、一部の人にはお話をさせていただいていますが、「そうだ、福岡いこう」で、福岡に部屋を借りて、東京・福岡での二拠点生活にチャレンジしてみることになりました。
■2020年4月
【コロナで緊急事態宣言】
福岡へ来たものの知り合い少ないし、ニトリから家具は届かないしで、とりあえず夜な夜な福岡でごはん屋さんを渡り歩く日々。お客さんがいないから、店主とすぐに仲良くなります。トライアスロンの大会が相次ぎ中止で目標がなくなって行きます。お世話になった方々に挨拶に廻りたくても、いったら失礼になるから行けない日々が続きます。
■2020年5-7月
【試行錯誤の自粛の時期】
新しい事業スキームを作れないか、1人で黙々と考え続ける。でも1人で考えても、モヤモヤするだけ。でも10個くらい出来上がる。(マネタイズできるのかなこれは)
同時に第一号社員が決定。
■2020年6月
【書籍出版が決まる】
過去に二度否決されて、ここへ来て新しい企画が通り、初の単独本の出版が内定。モヤモヤ中の突然の晴れ間がやって来ました。そんな中、メインオフィスは東京じゃなくても良い気がしてきて、本社も福岡に移転してしまえと思ってしまう。そんなわけで中央区大名にオフィスを借りることになりました。
■2020年7月
【福岡のいいところ】
「新オフィス 借りてみたけど 什器なし」
ぽつんと座って仕事をしてみるものの、腰が痛くなるばかりです。ここで何ができるのかをモヤモヤしながら考えてみるけど、テーブルと椅子がないのがこんなに辛いものと知る。トライアスロンができない分、新しいチャレンジを探し続けていたら、槍ヶ岳に行っていないことに気づく。
■2020年8月
【朝ランと仕事の日々】
オフィスに什器が入り出す。槍ヶ岳に向かって、朝ランと朝トレイルランに力を入れる。やり過ぎて、何をやってんだかわかんなくなる。福岡は思った以上に狭く、「いろんな人に見られている」ことを知る。東京じゃないけど、人に会う頻度や見られている頻度が多め。
- 6:00 起床
- 6:30 ランスタート
- 7:30 弁当を作る
- 8:30 出社〜仕事
- 21:30 仕事終わってインプット
こんな日々が続きます。ビーサン、短パン、タンクトップ(山下清風)で通勤、これが目立つのか、何なのか、とにかく「この前見かけましたよ」と言われまくる。
■2020年9月
【槍ヶ岳登頂】
第一号社員が入社。人が入るとさすがに山下清に寄せることが難しくなり、ピリッとし始める。と同時に仕事の話が、人を介して沢山いただけることに。そして、はじめての槍ヶ岳チャレンジ。高所恐怖症の私が行くところじゃなかったけど、何事もやってみるものだ。帰りは台風が迫る中、命からがら下山。
こんなに怖いところもう二度と嫌だと思う一方、ボルタリングの練習してまた来年来ようとも思う。
■2020年10月
【仕事だらけ】
仕事を頂けると、次の仕事を頂ける流れってのはあるもんだなあと感謝する日々。来年のトライアスロンもキャンセルになる可能性が高いようだ。とにかく目の前のことを進めるのみ。以前のようにスタッフがたくさんいないと、細かい仕事からお金を生む仕事まで全部やらなければ行けない。でも、「これだよ、これこれ〜求めていたのは」とドMのパワーが炸裂し始める。
■2020年11月
【第3波の襲来】
突然お誘いをうけた、飲み途中。翌朝早くの代々木公園で朝ランにフッカルで参加。新しい出会いをまた一つ、いただく。仕事はさらに加速していき、はちゃめちゃに忙しくなってくる。
■2020年12月
【出会い】
「サウナ」企画に乗っかり、出会って30分で裸になる男同士の付き合い。初めて「ととのう」を知る。
仲間たちがいてくれたことで、新しいチャレンジに邁進することができました。苦しい時が続きましたが、そんな時でも手を差し伸べて頂ける偉大なる人がいることにも、大きな感謝な2020年でした。
東北土産のマグロパンツをもらって、お礼のダンスは切れ味弱めでしたが、支えてくれる友人に熱盛な感謝です。
■2020年と言う一年
そんな2020年のチャレンジは、自分自身を磨けているのか全く未だ持って不明ですが、自分で追い求めた結果、それが今です。追い求めて行く過程で、新しい出会いや気づきが山盛りすぎて、想いが溢れる、そんな2020年だったなと思えます。
チャレンジは大変ですが、この過程も「最高だったな、あの時」と、登り終えた先に、何かが見えてくるのでしょうか。
経営者として、諸先輩方に教えを乞いながら、今日もとぼとぼと歩いています。
コロナ禍においても、いろんなところでいろんな人に出会えたこと、これは本当にありがたいことです。
「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいい」はずと信じて、とりあえず明日も明後日も仕事に明け暮れます。
いったん、今日で福岡オフィスは最終日。明日からは東京オフィスでのお仕事です。