命のバトン

2010年年末の突然の肉離れから始まり、3月には初めての手術。
そして6月末からは流行り病をもらい、元気だけが取り柄だった自分が、身体と向き合う機会をもらっています。

「もうそんなに若くないんだよ」と言われても、「そんなわけないでしょ」といつも思っていました。

でも例外なく順調に歳を重ねていることに、この歳になってようやく気づき始めました。笑

「カラダが資本」とは言いますが、その言葉の重みが段々と心と身体に染みます。


同じ境遇の人が周りにいたので、励ましあいながら日々を過ごしていましたが、アレがなかったらと思うと少しゾッとします。

この半月は、本当に何もできませんでした。
アポを断り、講演もキャンセル、頭も働かないし、座っていることもままならない。
20代後半で一度不明熱で10日間の入院をしましたが、あの時以上に体力的にも精神的に不安定になりました。

唯一の救いは、人から移されたものであっても、自分が誰かに移すことはなかったこと。
これで誰かに移していたらと思うと、本当におちおち寝ていられません。


自らの行動一つが人を殺めることさえできてしまうのです。どれだけ人に影響を与えるのかを考えさせられました。

今ここで自分がかかったのはきっと何か理由があるはず。
そう思いながら、前をむいて日常生活に戻り始めました。

メシなどほとんど食べられなかったので、体重は6kg下がり、身体も骨と皮で薄っぺらくなっていました。
ダイエット作戦をしていましたが、目標数値は一気にクリア。

ようやく食欲も戻り始めたので、早く普通の自分を取り戻さなければなりませんが、まだ85%ってところで完全復活まではもうしばらく時間がかかりそうです。

ワクチンを打つ・打たないなどと、よく議論がされています。
人によって症状は千差万別ですが、私のように「全部のせ」を経験すると、「早く打った方がいいですよ」と声を大にして言いたいです。

色々な意見はありますが、早く日常を取り戻すことを最優先した方が良いと思うのです。
私の知り合いでは、いまだに後遺症に苦しんでいる人がいます。
(その話を聞くだけでも辛い)



解放された日と同じくして、祖母がなくなったことを告げられました。
100歳なので大往生ですが、最後に会ったのは1年半前。
ちゃんと僕のことも認識してくれていました。

それから会えない期間が続き、結局最後まで会うことは叶いませんでした。
時世柄、故郷に帰ることができないので、通夜も葬儀にも参列することができず、最後に祖母の顔を見ることも叶いませんでした。

祖母から母、そして私と子供たちへと、命のバトンは渡されていきます。先祖から受け継いだ「命」、祖母の死を持って私に伝えたいメッセージが何かあったのではないかと、ふと考えてしまいます。

これまでめちゃくちゃに、やりたいことをやりたいように生きてきましたが

こんな時世を憎んだりもしますが、今は与えられている環境で最善を尽くすことしかできません。